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再会 [重松 清の本]

再会

再会

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/10/23
  • メディア: 単行本

内容(「BOOK」データベースより)

子供の頃、勇気はみんなから称えられ、努力は必ず報われた。だけど、おとなになったいまは?初恋の少女、ちょっとさえないヒーロー、親戚中の鼻つまみ者だった酔っぱらいのおじさん…なつかしい人との再会が教えてくれた、気づかなかった幸せの数々。「勝ち負け」だけじゃ量れない、生きることの豊かさを伝える全6編。

おとなになってから子ども時代のことを振り返ることが時々ある。

振り返りながら懐かしむことも勿論あるが、それ以上に心が痛むことも多い。

小学生の頃の自己中心的でちょっと意地悪な自分に。

 中学生の頃の生意気な自分に。

友を傷つけたこともあったろう。

それらの思い出に蓋をしたまま過ごすのではなく、苦しいけれども、何十年かたってから開けて改めて向き合ってみるのもつらいが必要なことなのかもしれない。

大人になってからよくわかることがある。

私自身母親になってから知ったことも多くある。

過去に思い描いていた未来の自分はこんな姿じゃなかったと思うときもある。

普段は正面から見つめたくない過去の数々の痛い思い出に゛再会゛する。

そこからまた目にははっきり見えなくても一歩前に踏み出すことが出来る・・・・

昔の友はどんなおとなになっているだろうか・・・

連絡をとってみようかな。

短編集。


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十字架 [重松 清の本]

十字架 (100周年書き下ろし)

十字架 (100周年書き下ろし)

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/12/15
  • メディア: 単行本

内容(「BOOK」データベースより)

あいつの人生が終わり、僕たちの長い旅が始まった。中学二年でいじめを苦に自殺したあいつ。遺書には四人の同級生の名前が書かれていた―。背負った重荷をどう受け止めて生きればよいのだろう?悩み、迷い、傷つきながら手探りで進んだ二十年間の物語。

非常に重いテーマであるが、意外にも淡々とした軽いタッチで描かれていたので一気に読んでしまった。

クラスメートが自ら命を絶った.遺書には僕らの名前が書かれていた・・・

残された者たちはその重い十字架を背負わされ、どうやって生きていくのか・・・とても興味を引かれるテーマだ。

しかしいじめの首謀者はともかく、いじめに加わっておらず、さほど親しいと思ってなかったのに

勝手に「親友になってくれてありがとう」と書かれた主人公と、迷惑なくらい一方的な片思いから

名前を書かれた少女。

この2人が後に背負っていく重荷を思うと、どうみてもこの2人は被害者に思えた。

自ら命を絶つ者はそこで人生が終わるが、遺された者たちの人生はずっと続く。

彼らにどれだけの影を落とすか、

周りに迷惑を一切かけないということはありえない。そして自ら命を絶とうとする者の遺した遺書の

持つ重みは・・・・

 

いじめにあって自殺したフジシュンは勿論確かに被害者だ。どんな理由があっても人としての尊厳を

著しく損なういじめは決して赦されるものではない。

しかしフジシュンは遺書に名前を残すことによって「加害者」にもなってしまった。

「親友」と「好きだった女の子」をずっと苦しめることになってしまった。

この2人がなぜ成人しても尚償いをしなければいけないほどの重い十字架を背負わなければいけなかったのだろうか。

私は自分におきかえて考えてみたがどうも腑に落ちない。

もし自分がそのように名前を書かれたとしたら・・・親友と思ってない相手に。。。

強い憤りを覚えるかもしれない。毎月線香をあげに行く事は出来ないかもしれない。ましてやその父親にののしられるなんて理不尽だと思う。

逆にいじめの被害者で遺書を書くとしたら・・・

復讐の意味をこめて加害者の名前を書いてしまうのかもしれない。大好きな人の名前も・・・。

・・・・やはりよくわからない。

ただひとつ言えるのは命の持つ重みである。

フジシュンの自殺によって周りの人間はひどく苦しむことになった。

助けてやれなかった両親の自責の念。弟の寂しさ,怒り。皆重い十字架を背負うことになったのだ。

 

消えてしまいたい気持ちになったら、いつもそのことを考えよう。

大好きな人、愛するもの達のことを考えよう。

彼らをここまで苦しめることが想像出来たなら、

自ら命を絶つことは出来ないはずだから・・・・・・。

 


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ステップ [重松 清の本]

ステップ

ステップ

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2009/03
  • メディア: 単行本

内容(「BOOK」データベースより)

結婚三年目、妻が逝った。のこされた僕らの、新しい生活―泣いて笑って、少しずつ前へ。一緒に成長する「パパと娘」を、季節のうつろいとともに描きます。美紀は、どんどん大きくなる。


これはとてもお気に入りの一冊になりそう。

妻を亡くし、男手一つで一人娘、美紀とともに、父子が周りの人々に助けられながら成長していく

物語だ。

初登園にはじまり、章ごとに5歳、小1、小2、小3、小4、小5、小6、と美紀ちゃんが大きくなっていく

構成である。

はじめは、独特の表現シゲマツ節にやや飽きてきた感もあり、なかなか引き込まれなかったのだが、

小3あたりから涙腺がゆるみはじめあとはもうグイグイと引き込まれていった。


この作品のテーマはずばり「いのち」であろうかと思う。

主人公の健一はしばしば自分に問いかける。

妻の死について。美紀が中学生になる頃振り返って考える。

「悲しみや寂しさは消し去ったりのりこえたりするものではなく、付き合っていくものなのだ。

中略~朋子が僕にのこしてくれた中で最もたいせつなものは、むしろ悲しみだったのかもしれない。

中略~そこから力をもらってきたのかもしれない。だとすれば僕が男手一つで美紀を育てたの

というのはうそだ。朋子もずっと、一緒に美紀を育ててくれたのだ・・・・・」

 

「つらい思い出に触れるたびに人は優しくなっていく、そういうものかもしれない」


私には長女と長男がいるが、その間の子をひとりお空に帰している。

その時の悲しみは思い出す度胸が締め付けられる思いだが、いつもその子に心ではなしかける。

「ありがとう」って。

あなたのおかげで人の痛みがわかる人間になれたって。

世間一般でいう元気で社交的な好ましいママではないけれど、人の痛みや悲しみが想像できる優し

い人間でありたい、と思う。


 

「バトン」(美紀小5)の項ではその重さを命の重さにたとえて書かれていたが、

生きるとは、人生とはまさに命のバトンを引き継ぐことではないか。

それは必ずしも子孫を残すことというだけではなくて、自分のもつありったけのもの、

能力を誰かのために注いで、そうしてバトンを渡し、引き継いだものもまた同じように誰かのために

注ぐ・・・・

バトンの持つ重みは命をつなぐ重みだ。そんなことを考えた。

そしてラストのほうで健一は再婚する。

これは美紀にとってとてつもない試練だったろうと思う。

親はいつでも子どもにとって親のままであってほしいものだ。

たとえ自分勝手な願いであったとしても、父親、母親には男、女であるところを見たくない。

そういうものだ。

特に思春期にさしかかる美紀にとっては体が拒絶反応をするほど、苦しいものだった。

ずっと男手一つで育ててほしかったなぁ。

勝手な願いではあるが。

 

これから先、再婚相手であるナナさんは健一との赤ちゃんを生むかもしれない。

美紀にはおじいちゃんとの別れのあとに、遠からずおばあちゃんとの別れもやってくるだろう。

また心が揺れることが、これからも何度もやってくるでしょう。

けれどもたくさん悲しい思いをしたぶん優しい子に育つのでしょう。

そんな美紀のその後のおはなしも読んでみたいなぁと思わせる作品であった。

 


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「気をつけ、礼」 [重松 清の本]

気をつけ、礼。

気をつけ、礼。

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/08
  • メディア: 単行本

内容(「BOOK」データベースより)

僕は、あの頃の先生より歳をとった―それでも、先生はずっと、僕の先生だった。受験の役には立たなかったし、何かを教わったんだということにさえ、若いうちは気づかなかった。オトナになってからわかった…画家になる夢に破れた美術教師、ニール・ヤングを教えてくれた物理の先生、怖いけど本当は優しい保健室のおばちゃん。教師と教え子との、懐かしく、ちょっと寂しく、決して失われない物語。時が流れること、生きていくことの切なさを、やさしく包みこむ全六篇。


うーん、あまり面白くない・・・。

でも「生徒」側からの作品多い中、「先生」側からの作品、「にんじん」はなかなか

生々しい胸がしめつけられるような話であった。

しかし実は読んだのはここまで。

私自身あまり先生との思い出というか心に残る一対一のエピソードがないため、(おとなしく印象が

薄い生徒だったと思う。)先生というものに思い入れがないためだと思うが

なかなか読み進まず、図書館の返却期限が迫り、挫折[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]

途中挫折はシゲマツ作品初であった・・・・。

わたしにとって別の意味で印象深い一冊になりそう[ひらめき]

 

先生にとって印象深い生徒であったと自負する方にはおすすめ。


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少しだけ欠けた月~季節風 秋 [重松 清の本]

少しだけ欠けた月―季節風 秋

 

(内容「BOOK」データベースより)

静かな、静かな、ひとりぼっちの月。ぼくたちは明日から、もう家族じゃない。澄んだ光に満ちた秋が、かけがえのない時間を連れてくるものがたりの歳時記―「秋」の巻、12編。

読みきり短編集。
短い。新聞に連載されていたとだけあって、かなり短い。
よってちょっと物足りない。
あっさりしていて盛り上がったり、泣かせたりというのがないです。
重松清番外編って感じ。
でも読みきりなので育児の隙間時間に読めるのでちょうど良かった。
物語のなかにところどころ秋を感じる表現で統一感があるが、表題作「少しだけ欠けた月」は、
題は良いのに、インパクト不足だった。
他の短編も短かいせいか終わり方が拍子抜け。似たような感想をもった。
その中で最後の「田中さんの休日」はなかなか面白かった。
ちょっと元気がないサラリーマンで(クソ)真面目な田中さんは妻と一人娘の三人家族。
思春期に入った娘は父親とめったに口をきかなくなり、寂しい。母娘は仲良しで
家族ですっかり孤立した状態の田中さん。
そんな家族が娘のカンニング事件をきっかけにひさしぶりに三人で日曜日に
出かけることになる。
行き先は娘がまだ幼かった頃何度も訪れた遊園地。
小さい子ども連れに父親たちの姿にかつての自分の姿を重ね、田中さんは
少しずつ元気を取り戻していく・・・・。
我が家の娘もまだ小さいけれど、いつかはウチの夫も同じような思いをするのかも。。。
と思いながら読んだらなんだか少し切なくなった。
でも母と娘の田中さんへの目線はあたたかく、重松作品にしては珍しくさわやかな後味の
物語であった。
この季節風シリーズは他に春、夏、冬と出ているのでまた隙間時間に読んでみたい。
個人的には短編集なら「日曜日の夕刊」のほうが好きだが。

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かあちゃん [重松 清の本]

 

かあちゃん

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メかあちゃんーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/05/29
  • メディア: 単行本

最近ようやく夜まとまった時間がとれるようになってきた。

で、久しぶりに(本当にかなり久しぶりに!)更新できた。

 

読んだのは重松清「かあちゃん」である。

内容はちょっと想像していたのとは違った。

長編小説ではあるが、登場人物をひとりずつ章ごとにとりあげているため、短編が最初と最後に

つながるという形である。

私はてっきり「東京タワー~」のような小説を想像していたので、

あまり「かあちゃん」という題名にそぐわない内容にちょっと拍子抜けしてしまった。

感動するものを期待していたが、そういう作品ではなく、

また「かあちゃん」と題しておきながら、かあちゃんは脇役にすぎず、本軸はちょっと別の

ところにあるような内容であった。

 

設定に?と思う所があったので、最後まで納得がいかず読後もやもやしたものが残った。

なので作品の善しあしは置いといて、重松氏の作品を読んでいると感じることを書こうと思う。


キーワードは自殺、いじめ、病、死であることが多い。

以下は私なりの見解だが、

重松氏はかつて親友を自殺で失っている。(これは以前記事に書いた)

彼を救ってやれなかった激しい後悔が彼の背負っているものであり、執筆意欲につながってるような

気がしてならない。

重松氏には勿論責任はないと思うのだが、その経験が数々の作品に表れているといえる。

 

そしていじめの問題。

これは重松氏が子どもの頃、「吃音」で悩んでいたことと関係があるのではないだろうか。

「きよしこ」ではズバリ自伝的小説ともいえる内容で、氏の子ども時代が透けて見えてくる。

重松氏は吃音でコンプレックスを抱いていた。しかしそのことにより、弱者の気持ちがわかる

ひとになれたのだと思う。

私が重松清の小説が好きなのは、彼が弱者に対してとても優しい目線で描いているから

である。

重松氏は教育学部卒ということもあり教師が出てくる話も多い。

この「かあちゃん」でもかなり個性的な教師たちが登場する。

印象深いのは福田教諭の「負けを知らない教師が生徒にとっていい教師なのか」というセリフである。

負けたことのない人が教師になったら生徒に逃げ場はない。負けた経験をもつ教師も時には

必要なのではないか、ということ。まったく同感だ。

上から目線では子どもの心には届かない。

「五体不満足」の著者乙武さんが教師になったが、ある雑誌できっかけを話しておられた。

「学校では「明るく元気よく。」って教える。でもそれじゃ暗い子はどうするの?

自分はだめだと感じ居場所がなくなってしまう。違和感を覚えた。暗くてもいいじゃないか。」

確かこのような内容であった。

明るくなくたってキミがダメなんじゃない。

みんな違ってみんないいんだよ。

そんなメッセージを子どもたちに送れる教師として、乙武さんはまさに適任だ。

話がそれたが、重松氏も作家でなかったら教師が向いているような気がする。

大事なのは生徒に気付いてあげられるかどうかということ。

負けたことがなければ気付かない、負けたことで見えてくるものがある・・・

 

こんなことを読後感じるってことはやはり「かあちゃん」は題名とはかけ離れた内容であると

いうことかしら・・・

とにかく異色作であった。


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カシオペアの丘で 上・下 [重松 清の本]

カシオペアの丘で(上)

カシオペアの丘で(上)

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/05/31
  • メディア: 単行本
 
カシオペアの丘で(下)

カシオペアの丘で(下)

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/05/31
  • メディア: 単行本
ファンである重松氏の最新作ということでとても楽しみにしてました。
しかし・・・後悔!
私のダイッ嫌いな病気の話。
シマッタと思いましたが、あとの祭り。とりあえず最後まで一気に読みました。
 
:北海道のとある都市の幼なじみの4人の物語。その4人が成長し、
  それぞれの道を進んでいたが、幼なじみの一人、シュンの発病、
 そしてある事件がきっかけで、それぞれの友人、家族を絡めて4人の人生が
再び交わって・・・・
 
正直いって期待はずれの作品でした。
病気ものが苦手なのもあります。
病気はフィクションとは思えないので(自分の身にもありうることなので)
どうしても読むのが辛くなってしまうからです。
でも、それをさし引いても、本作は重松作品にしてはちょっと異色というか
かなり凡庸な作品だと感じました。
 
4人のなかに紅一点女性がひとり。
男3人に想われて40代にもなって南ちゃんみたいでつまらない設定。
お約束の末期ガンで余命わずかの設定。
過去の過ちに残りの人生をかけて許しを乞う、という設定。
 
どれもなんだかとても平凡だったのでどこかで盛り上がるかと期待して
読んだのですが、ひとつも心に残るエピソードが入りませんでした。
なのでかなり辛口感想になってしまいました。
 
生と死をからめて描くと、どうしても感動する、させる、という安易な感じがして
よほどの描き方でないともう胸を打たれなくなってます。それだけ世の中に
病気、死がらみの作品があふれてます。
ダイッキライです。安易過ぎる。
自分の身におきかえてしまう。
そうすると、
こんなにきれいなもののわけがないって思ってしまう。
 
北海道出身なので、炭鉱のこととか、わかるわかるっていうエピソードはありました。
それだけがちょっと興味深かった。
 
次回作に期待。

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「定年ゴジラ」 [重松 清の本]

定年ゴジラ (講談社文庫)

定年ゴジラ (講談社文庫)

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2001/02
  • メディア: 文庫

 久々に読書。

定年したオジサンの話かぁ~うーん興味ない・・・

と思い、なかなか手が伸びなかった本。

しかし、読んでみると・・・面白い。一気に読みました。

近年の重松作品は、少々シリアスなものが多いですが、

これはコメディとしてもいける、クスクスっと笑ってしまう場面も多くありました。

もちろん扱うテーマはなかなかシリアスなのですが、

登場人物が皆、個性的で憎めない可愛いオジサン方で。


30年前に開発されたニュータウンに住む定年を迎えた山崎さん。有り余る時間をもてあまし

途方に暮れる。そんな中、先に定年を迎えていた町内会長や野村さん、藤田さんという

散歩仲間が出来る・・・・。


町内会長は二世帯同居で姑・嫁問題に悩まされ、

野村さんは長い単身赴任生活から家族の元に戻り、家の中で浦島太郎状態。

それぞれおかれてる環境は安泰とはいえないのですが、なぜか軽い感じがする。

重松さんがまだ30代だった頃の作品だからでしょうか。やけに若若しいのです、彼ら。

会話も元気だし。

私には定年迎えて数年たってる義父が居ますが、こんなに元気じゃないです。

抜け殻になってしまってます。

だから、いろいろ試行錯誤しながらも、熱中できるものを見つけようとしたり、

新しいことに挑戦してみたりするこの4人のおじ様がたは

「なんかいいなぁ・・」

と思うのです。

それぞれの会社でそれなりの地位にいた人たちですが、

定年になって肩書きがなくなって、すぐにご近所さんと仲良くお酒飲んだり散歩したり、

人懐っこい。

普通なかなか出来ないのではないでしょうか。

仕事で人生の半分以上を費やして、その後の人生を「余り」として

ただ抜け殻のように過ごすなんてもったいない。

第二の人生も謳歌しなくちゃ。

 

 

 

 


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「エイジ」 [重松 清の本]

エイジ

エイジ

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/06
  • メディア: 文庫

かったるい本だ。読んでてイライラさせられた。

それもそのはず、この本の語り手(主人公)は14歳の少年。

いちおうフツーのいまどきのという設定だが、かったるい思春期真っ只中にいるのだから。

 

 

内容(「BOOK」データベースより)
ぼくの名はエイジ。東京郊外・桜ヶ丘ニュータウンにある中学の二年生。その夏、町には連続通り魔事件が発生して、犯行は次第にエスカレートし、ついに捕まった犯人は、同級生だった―。その日から、何かがわからなくなった。ぼくもいつか「キレて」しまうんだろうか?…家族や友だち、好きになった女子への思いに揺られながら成長する少年のリアルな日常。山本周五郎賞受賞作。


 イライラしたと書いたが、それはつまり少年の語り口があまりにもリアルだからだ。

重松 清という大人の男が実際は書いているのに、なんだか本当に14歳の「エイジ」が考えて

しゃべっているみたいだ。

言葉足らずで、ガキで、頭でっかち。

だけどそんな時代、私にも確かにあった。

もちろん重松さんにも。

だから共感できる。

懐かしい気持ちもよみがえる。

中学生の頃通っていた学校の雰囲気とか、匂い。

生徒たちの声、部活・・・さまざまなことが思い出される。

だだ遠くなったなぁ・・・とも思う。

あの頃わたしは子ども扱いされるのが大っ嫌いだった。

自分では大人だと思ってたから。

だけどこうして30代になって眺めてみると中学生はやっぱり保護や指導が必要な子どもだ。

遠くなったよ。心の距離が。どうしても子どもと見てしまう。

当の彼らはいろんなことを考えていて、それをうまく言葉で表現する力がまだ足りないだけなのかもしれない。

いろんな意味で改めて考えさせられた。この難しい年頃のことを。

「エイジ」

「age」。

 


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卒業 [重松 清の本]

卒業

卒業

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/02/20
  • メディア: 単行本
※内容に触れています。未読のかたはご注意ください。
 

出かける予定があったので電車の中で読もうと借りたが、待てずに家で読むことに。一晩で読んだ。

4作のうちしょっぱなから号泣。電車で読まなくて良かった

「わたしの父親ってどんなひとだったんですか」ある日突然、十四年前に自ら命を絶った

親友の娘が僕を訪ねてきた。中学生の彼女もまた、生と死を巡る深刻な悩みを抱えていた~

悲しみを乗り越え、新たな旅立ちを迎えるために、それぞれの「卒業」を経験する家族を

描いた四編。著者の新たなる原点。(裏表紙より)

表題作を含む四編はいずれも何かからの「卒業」がテーマだ。

親からの呪縛、深い後悔などそれぞれ主人公は心に問題を抱え、葛藤し、「卒業」していく。

圧巻は最初の一編目「まゆみのマーチ」だった。

正直、四編の中で胸をうたれたのはこの作品だけといってよい。少なくとも私にとっては、だ。

母親が死ぬ。その時を迎えて、息子と娘は久々に会う。そして回想する。

幼かった頃の日々を、家族で過ごした日々を、母の深い愛情を・・・・。

 

幸司(兄)は母にとって自慢の息子で、エリートコースを進む。しかし、今、自分の息子が引きこもりに

なってしまった。初めて挫折を感じている。

まゆみ(妹)は幼い頃から陽気で歌が好きな子だったが、集団生活にうまくなじめず、

学校に行けなくなってしまった経験をしていた。


母親は体が動かない、歩けない、という拒否反応をおこしてしまっている娘を無理に連れて行ったり、

また叱咤激励するのではなく、どこまでも寄り添い、深い深い愛情で支え、立ち直らせた。

この母親の愛情表現がとても素敵です。無償の「愛」。「好き」という気持ち。

これが子どもにとって絶大な力になるということを改めて確認させてもらいました。

やっぱり当たり前で通じてると思っても、口に出していわないといけませんね。

好き、好き、好っき!・・・・(号泣)

父親が「まゆみは、ふつうの学校じゃ面倒見てもらえん子ぉかもしれんのう・・・」

とつぶやいたときも「まゆみは、ええ子です。うちの、かわいい子です。あんたのかわいい娘で、

幸ちゃんのかわいい妹です」ときっぱり返した母。子どもの個性を認め、「あなたはあなたなのよ」

という信念をもっていたからこそまゆみは自身の存在を否定せずにこられたのでしょう。

どんな時も子どもを受け止め、愛した姿が本人に届いたんだなぁと思いました。

 


「あおげば尊し」

ガンにおかされて余命いくばくもないもと教師の父親を在宅で看取る

家族の話。息子は自身も教師だが、厳しい教師だった父を冷ややかな目でみていた。

父は教え子の結婚式に呼ばれたことはない。年賀状でさえ、教え子の誰からも来ない。

厳しくて、寂しい教師・・・。


この話で私は死について考えました。

死ぬことは怖くないな、と。

生きることのほうがずっとずっと苦しいじゃないか、と。

私は死を宣告されてから、死を迎えるまで苦しみながら生きる覚悟があるだろうか。

そして身近な人がそうなったとき、受け止めてあげる覚悟があるだろうか・・・

 

「卒業」

これは重松さん自身の体験に基づいて書かれたものでしょう。

前に読んだエッセイで親友を自殺で亡くしていることを告白していました。

このことは重松さんにとってものすごく衝撃で、きっとなかなか消せない「何故」という気持ちが

うずまいていたんだろうと思います。重松さんは「書く」ことでつらい記憶を「卒業」しようとし、

芸術家や音楽家、映画監督などは自身の才能でまた苦しい体験を「卒業」させることが

できます。そういう人がなんだかうらやましい。

凡人は苦しみを胸に悶々としながら生きるしかないんだろうか・・・


 

「追伸」

この話はあまり好きじゃない。なぜなら私が利己的な人間だからだ。

 

幼い頃母親を病気で亡くした主人公敬一は、母親のことが忘れられず、後妻のハルさんに

心を開くことができないで大人になった。母の形見である日記を心の支えに・・・


重松さんの作品では死にゆく人物が物分り良すぎる。

「その日のまえに」でも妻が夫に「忘れてもいいよ」と手紙を遺していたし。

私は夫にも子どもにも自分のことを忘れてほしくない・・・絶対に。

だからこの話のように息子がいつまでも死んだ母を想い、後妻を母と呼ばず、認めないでいたのは

ちっとも悪いことだと思わないし、自分がこの息子の母だったら心底嬉しいんじゃないかな。

ハルさんがどういう気持ちで敬一に接していたのか、私には理解できないし、無理にお母さんと

呼ばせるなんて必要はなかったんじゃないかと思う。ハルさんにとっては前妻の忘れ形見で

ある敬一を、本当に自分の息子と同じように愛せていたのだろうかとどうしても疑ってしまうし・・・

私はずっとずっとずーっと愛する者たちの心の中に残っていたいし、生きていたい。

でもそのことで愛する者たちが苦しむのだろうか・・・・

だとしたら私はやっぱり利己的なのかしら・・・そんなことを考えた。

 

 

全編、いろいろ考えさせられますが、しょっぱなの「まゆみのマーチ」があまりにもヒットしたため、

私には他は霞んでしまった感があります。

でもそれぞれの立場が違えば、読む印象も違ってくると思うのでどの作品も人によって心の

琴線にふれる部分がきっとあるでしょう。

くれぐれも電車の中で読まないようにご注意ください(笑)

 


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