十字架 [重松 清の本]
内容(「BOOK」データベースより)
非常に重いテーマであるが、意外にも淡々とした軽いタッチで描かれていたので一気に読んでしまった。
クラスメートが自ら命を絶った.遺書には僕らの名前が書かれていた・・・
残された者たちはその重い十字架を背負わされ、どうやって生きていくのか・・・とても興味を引かれるテーマだ。
しかしいじめの首謀者はともかく、いじめに加わっておらず、さほど親しいと思ってなかったのに
勝手に「親友になってくれてありがとう」と書かれた主人公と、迷惑なくらい一方的な片思いから
名前を書かれた少女。
この2人が後に背負っていく重荷を思うと、どうみてもこの2人は被害者に思えた。
自ら命を絶つ者はそこで人生が終わるが、遺された者たちの人生はずっと続く。
彼らにどれだけの影を落とすか、
周りに迷惑を一切かけないということはありえない。そして自ら命を絶とうとする者の遺した遺書の
持つ重みは・・・・
いじめにあって自殺したフジシュンは勿論確かに被害者だ。どんな理由があっても人としての尊厳を
著しく損なういじめは決して赦されるものではない。
しかしフジシュンは遺書に名前を残すことによって「加害者」にもなってしまった。
「親友」と「好きだった女の子」をずっと苦しめることになってしまった。
この2人がなぜ成人しても尚償いをしなければいけないほどの重い十字架を背負わなければいけなかったのだろうか。
私は自分におきかえて考えてみたがどうも腑に落ちない。
もし自分がそのように名前を書かれたとしたら・・・親友と思ってない相手に。。。
強い憤りを覚えるかもしれない。毎月線香をあげに行く事は出来ないかもしれない。ましてやその父親にののしられるなんて理不尽だと思う。
逆にいじめの被害者で遺書を書くとしたら・・・
復讐の意味をこめて加害者の名前を書いてしまうのかもしれない。大好きな人の名前も・・・。
・・・・やはりよくわからない。
ただひとつ言えるのは命の持つ重みである。
フジシュンの自殺によって周りの人間はひどく苦しむことになった。
助けてやれなかった両親の自責の念。弟の寂しさ,怒り。皆重い十字架を背負うことになったのだ。
消えてしまいたい気持ちになったら、いつもそのことを考えよう。
大好きな人、愛するもの達のことを考えよう。
彼らをここまで苦しめることが想像出来たなら、
自ら命を絶つことは出来ないはずだから・・・・・・。
自分の行いが誰にどのような影響を与えるのか、どのような結果を招くのか、それを考える良い機会を与えてくれる本だと思います。子供たちにも読ませたいです。
by Sanchai (2010-06-22 05:49)
Sanchaiさん、こんにちは。
そうですね、うちの子供たちにも大きくなったら是非読んでもらいたいです。
物事を深く考えられない幼い心で死を考えてほしくないですから。
by ノリ (2010-06-22 09:21)